3月11日に、1月17日の話をします
東日本大震災から今日で9年。
そんな今日は、今年の1月17日に神戸へ行った話をします。
自分が生まれたのは阪神淡路大震災よりも後で、震災は経験していない。
なので、子供のころは意識していなかったし、どんな災害だったかなどあまり知っていなかったが、最近になって強く意識し始めた。
きっかけは、2017年のCOMIN' KOBE'17。
ヤバイTシャツ屋さんが見たい!しかも無料で行ける!すげぇ!みたいな感じで初めて参加した。
正直趣旨とか全然理解してなかったし無料+募金で見れるとかええやん!って感じだった。
実際行ってみて、初めてのフェスだったこともありめちゃくちゃ楽しかった事を覚えている。(ハイスタも出たしね)
他のフェスにはない雰囲気が好きで、翌年のカミコベも行った。
2日間開催で、2日間とも参加した。
毎年神戸に来るというのもなんだか新鮮で、三宮の駅の周りの雰囲気もなんだか好きになった。
2019年1月19日、太陽と虎の10周年を祝うイベントに行く。
この時に、初めて東遊園地を訪れた。
あまり時間が無かったのであまり長く滞在できなかったが、これがあったから、今年行く気持ちになったのかもしれない。
メンツがすごすぎる割にガラガラだったイベントはさておき、このフェスではガガガSPとBRAHMANの対決が組まれていて、同じ「満月の夕」を歌った。
阪神淡路大震災のことを歌ったこの曲を聞いてとても感動したのを覚えている。
その後、カミコベの実行委員長である松原裕さんが亡くなった。
そのあとの2019年のカミコベはアーティストのみんなが松原さんに捧げるようにパフォーマンスしていた、そんな感動的なフェスだった。
この神戸のフェス、カミングコウベのテーマは「神戸からの恩返し」。
阪神淡路大震災の時に、被災した神戸へ全国各地からボランティアが集まった。
その時の感謝をお返ししたい、そういう意図が込められたフェスだ。
しかし、初回参加時から思っていた事がある。
それは、「自分には一体何ができるのだろうか?」ということ。
音楽フェスという特性上、若い世代が多く集まる。
その中には、自分のような阪神淡路大震災を経験していない人も多いと思う。
そんな神戸を、震災を全然知らない自分には、震災に対して何ができるのだろうか?という漠然とした問いがずっとあった。
松原さんはとても素晴らしい人だと思う。
こんな大規模なイベントを毎年成功させ、募金を募り、東日本や熊本に支援の輪を広げていく。行動力の塊みたいな人だ。
でも、自分にはそこまでの力はない。
じゃあ、何ができるのだろうか?
そんな事を考えながら、2020年1月17日、私は神戸にいた。
1.17のつどいの会場である東遊園地に行く前に、神戸の街を散策した。
何度被災状況の写真を見ていても、やはりつらく心に来るものがある。
この日の天気はあまり良くなく、ずっと曇っていた。
層崩壊を起こした神戸市役所の建物。建て替えられ、そこからは当時の様子は全く感じられない。
1999年に建て替えられ、こちらも当時の面影はほとんど残っていない。
震災から25年しか経っていないとは思えないほど、神戸は驚くべき速さで復興を遂げている。
それは同時に、当時の被害や爪痕を遺す物が少なくなっているということではないだろうか?
歩けば歩くほど、「本当にここは25年前、あんなに被害を受けた街なのだろうか?」と疑ってしまうほどだ。
今の景色と比べると、本当に現実味が無く感じてしまう。
でも、25年前の震災で数多くの被害、亡くなった方々がいるのは変わることのない事実だ。
神戸の市街地にある、生田神社。
この神社も、震災当時に大きな被害を受けた。
縁結びの神様として有名で、この日も多くの人が参拝していた。
並んでいると、前に並んでいる若い男女がBRAHMANのキーホルダーを着けているのが目に入ってきた。
なんだか、すごくいいファンの方々だなぁと思った。その人たちを知っているわけでも何でもないけど、BRAHMANの満月の夕から関心を持ったのかなぁとか考えたり。
震災遺構として、震災当時のまま保存されている神戸港震災メモリアルパーク。
これを実際目の当たりにして、地震、震災の起こす力はとてつもないものだったのかと実感できた。
街の中心部とは違い、高速を走る車と海の音だけが響いていた。
少し歩くだけでこんな静かな場所があるのかと驚かされる。
神戸の街は驚きと発見が多い街だと感じる。
毎回来るたびに新しい発見がある。面白い街だ。
震災遺構のすぐそばには神戸ポートタワーやホテルが立ち並ぶ。なんとも変な光景な気がしてならない。
神戸は、綺麗な街だ。
25年で街はここまで変わるのかと、ニュースで見た25年前の神戸と比べるとその違いにただただ驚くばかり。
こんなに神戸が素敵な場所だとは。
ウェディングフォトの撮影だろうか?
撮影がこの日なのは偶然なのかもしれないが、この日にこんな光景が観れたのはなんだかとてもうれしい感じがした。
日が暮れてきた東遊園地。
色々な人たちの書いたメッセージが花のように飾られていた。
慰霊と復興のモニュメントには、白い献花が水面を埋め尽くすほどに浮かべられていた。
神戸関電ビルディングに浮かぶ「1.17」。
震災発生から12時間後の17時46分に向け、竹に浮かべられたろうそくに火が灯されていく。
子供に小中学生、大人の人々まで、様々な人が訪れていた。
人の多さとは対照的に、火のパチパチという音がよく聞こえるぐらいに静かな雰囲気がとても印象に残っている。
照らしていたライトが消され、ろうそくの明かりだけが浮かび上がる。
そして、17時46分。
神戸の街を1日歩いて感じたこと、25年前の映像、様々な想いが自分の中で思い浮かんだ。
初めてつどいに参加したことで、自分がずっと抱えていた問いへの答えが見えた気がした。
会場の寄せ書きスペースは、日本だけでなく世界中の人々のメッセージでいっぱいだった。
このメッセージを見て、震災を経験していない自分にも、できることはあるのではないか、と思った。
語り継いでいく。
風化させない。
そのためには、震災を経験していない私たちがどのように後世へと伝えていくのか。
そう考えると、自分にもできることがあると思う。
いや、むしろやらなければいけないことだと思う。
今後30年、40年と時間が経っていく中で、どうやって、どんな伝え方をすべきか。それを決めるのは私たち若い世代ではないだろうか。
災害と自分はどう向き合っていくべきか、これからも考え続けていきたいと思います。